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未来を紡ぐ種 [日記]

冬が訪れる少し前に、友人から菜種をもらった。
ただの菜種ではない。100マイル以上遠い土地からはるばるやってきた種だ。
この種の持ち主は、ある事情があってこの種を育てられなくなってしまったという。そして、その話を聞いた親切な人が、この種を譲り受けた。菜種は、その親切な人の呼びかけによって、日本全国の有志の手を借りて育てられることになった。友人はその一部で、更に種の一部を私にも与えてくれたのだった。

菜種は植えたが、正直なところ、私にはその意味するところはよくわからなかった。
この菜種を育てれば、菜種の元の持ち主は喜んでくれるのか。菜種が育ったからといって、それを八百屋に売って得た利益を還元するわけでもない。
「意味はあるのだろうか?」
そういう疑問が頭をもたげた。
しかし、私は水をやった。種にとって、そんなことは関係ないはずだったからだ。毎日水をやり、菜の花を育てた。
やがて花が咲いた。背丈はついにあまり大きくはならず、別の花が咲いたかと思うほど一房についた花の数は少なかった。

DSC_0558 (480x360).jpg

花が散り、種をつけるときになると、菜の花は普通のものとさほど変わらない立派な鞘をつけた。
私はその鞘を目の前にして戸惑った。
「新しく実った、この種をどうしたらいいだろう」
種の持ち主の受難にも負けずに、こうして実った種である。ぞんざいに扱うわけにはいかない。
種は来年まで大切にとっておこう。そして、また然るべき時が来たらプランターに種を蒔こう。

決して種を絶やしてはならない気がした。一度絶やしてしまったら、私が預かった種の系譜はそこでおしまいになってしまう。それでは元の種の持ち主に申し訳ない。来年以降も継続して育てなければ。でも、それはいつまで?
そこまで考えて、なんだか大変なものを預かったのではないか、という気持ちになった。
種を植えたとき、こんなつもりだったけなぁ。
正直に言ってしまうと、これには「面倒くさい」という気持ちが当てはまった。でも、花が咲いたのを見たときに、悪い気持ちもしなかったのも事実だった。
一度育ててしまったんだしなぁ。それなら、うん。よし、やるか。

驚いたことに、あの咲いた花を一度見てしまったというだけで、私はこの先もずっと菜の花を育てる気になったのだった。
自分に子供ができたら、その子供にもこの菜の花を見せてあげたいとさえ思った。
そして、この種を育てる有志を募った、あの親切な人は、これを狙っていたのではないかと思い至った。

私が種を貰い受けるということ。
それは、この種の持ち主の縁故になるということでもあったのだ。
私は生き残った種を育てることで、少しだけ、この一族の同門となった。

私が預かっていたのは、未来の一部だったのだ。

種が無事に育てば、きっと私は受難にあった種の持ち主のことを思い出す。
この種が育つのと同じように、遠い土地に住む種の持ち主が健やかに一年を過ごせたか。そんなことに思いを馳せる。
決して種が途絶えないように、この先ずっと命が受け継がれていくように、私は種を蒔き続けるだろう。

そもそも、種の持ち主が菜種を育てられなくなることがなければ、私がこの種を手にすることは決してなかった。
この巡り合いだって、奇跡的だ。
きっと、そのことだけみれば、これはいいことだった、と思うのだ。

DSC_0715_2 (480x360).jpg

(現実には、もっと難しいことはたくさんあるけれど。あるけれど)

この種は私とあなたを繋ぎ、その間にたくさんの未来を紡ぎ始めた。
まだ始まったばかり。
ここからなにがみえてくるだろう。

■seeds
http://www.seed-seeds.com/

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